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難しくて装丁のきれいな本



一年ほど前に書いていたのだけれど、公開するのをわすれていたエントリー。もったいないので。

私が高校生の頃は身の程知らずな難解な本を訳もわからず本棚に並べてみたり、前衛の演劇を観に行ったりしたものだった。ただただひたすら生意気だった。
それに引き換え、今日日の若いもんは…  

と思いつつムスメを見てきたのだが、高校一年生から二年生になるあたりで突然変わり始めた。
難しい本を読むようになったのだ。
うちのムスメ特有の性質か、世代的なものか、地域的な要因か、とにかくまともな本を読まない、と私には見えていた。
小学生のとき、青い鳥文庫しか読まないと友人に愚痴をこぼすと、読むだけましだよ、という返事が返ってきた。そうなのかあ、と見ていると、Z会の添削(小学生からある、今年から幼児コースもできたらしい)などで読んで興味を持ったものなんかを中学生くらいになって本体を買って読むようになってきた。
最近では某有名でない私大の哲学科!卒の私にもわからないような難しい本を読んでいたりする。
老いては負うた子に教えられ。
生意気にこれは装丁がきれいだ、と吐かす。

この本、超インテリじいさん二人が今時の「書物」について語っている。
エーコの「薔薇の名前」は小説もショーンコネリー主演の映画も面白かった。
この話の中で中世の図書館が炎上するクライマックスはは印象的だ。
エーコは次の作品フーコーの振り子の初項をおさめたフロッピーディスクが行方不明だと嘆いている。これが紙原稿だったらこんなことにはならなかっただろうにと。そしてフロッピーが出てきたとしてももはや今のコンピュターでは読むことができないと。
この本、持っているけど、なかなか読めずにいる。なんだか取っ付きにくくって。

でも紙書籍での出版はなく電子書籍がメイン、という時代がきたら、私は本を読み続けることが出来るのだろうか、と不安になる。
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by friand | 2013-01-13 10:45 | 雑記
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